ウェブディレクター北舘のコラム


広報とは何か

広報とパブリックリレーションズ


 パブリックリレーションズは、組織体とそれを取り巻く人間との間で望ましい関係を創り出すための考え方や行動のあり方で、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで発展したものです。日本には第二次世界大戦後の1946年以降にアメリカから導入され、その後、日本の発展のなかで広く社会に浸透し、今日では企業や官公庁など様々な組織体が運営を図るなかで、不可欠な考え方や方法として確立しています。

 まず、日本におけるパブリックリレーションズの歴史について簡単な説明をします。日本におけるその歴史は、先にも述べましたが、第二次世界大戦後に始まります。第二次世界大戦に敗れた当時の日本は、1945年9月から1951年4月までアメリカを中心とする連合国軍総司令部(GHQ)によって間接的な統治を受け、国民統治を図る方法のひとつとしてGHQからパブリックリレーションズの導入を要求されました。

 しかし、終戦後の日本ではパブリックリレーションズという言葉が一般的に用いられていなかったため、当時の行政機関ではその意味を理解することが難しい状況にありました。ただし、その部署名は日本語を使うという官公庁の決まりから、各府県ではそれぞれ「広報課」や「公聴課」といった名称をつけ、中央官庁は「広報課」という名称を用いていたため、次第に「広報」がパブリックリレーションズの訳語として広報が主流になっていきました。

 一方、企業においては“マネジメントはアメリカに学べ”という当時の風潮から「パブリックリレーションズ」を略した「PR(ピーアール)」の名称で定着していました。現在も諸外国や日本で、パブリックリレーションズの実務専門集団は、パブリックリレーションズもしくはPRを社名にしていることが多いです。

 その後、「PR(ピーアール)」は「宣伝」とほとんど同じ意味で使われ、パブリックリレーションズの持っていた本来の意味から次第に離れ、やや異なる概念となっていきました。このため、企業でも1970年頃からパブリックリレーションズを「広報」と呼ぶことが多くなってきました。ただし、ここで用いられた「広報」という言葉からは、組織と社会あるいはパブリック(公衆)との望ましい関係づくりという本来の意味が失われ、組織からの一方的な情報発信と受け取られがちだったこと、パブリックリレーションズが長すぎることからPRと略語を使わざるを得なかったことが、この考え方そのものも広く社会に理解されなかった理由のひとつといえます。

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